「平昌五輪・フィギュアスケート」(23日・江陵アイスアリーナ)

女子フリーが行われ、宮原知子さん(さとこ、19=文2)が会心の演技で自己最高の146.44点をマーク。合計222.38点(SP75.94点)で4位だった。2010年バンクーバー五輪のフィギュア男子で銅メダルだった高橋大輔さん以来の関大生メダル獲得はならなかったが、堂々の入賞だ。【写真・フリーでの会心演技に、両コブシを突き上げる宮原知子さん。濱田コーチも手を叩く=2月23日・江陵アイスアリーナ(AFP=時事)】

完璧な演技だった。五輪の魔物はいなかった。「魔物っていうものは、自分で作り出してしまうもの。自分を信じるのが一番。自分が勝手に作り出す不安とか、そういうものが自分の気持ちを邪魔するものじゃないかなと思います」。1万2千字にも及ぶ高等部からの研究成果。導き出した仮説を、宮原さんが自身で証明した。SPに続き、フリーの自己ベストを大きく更新。演技が終わると、大きくガッツポーズした。

「ケガをして(氷上に)戻るのも大変な時期があったけど、頑張ることで自分を信じることができた。今シーズン頑張ってよかった」。2016年12月のフィギュア全日本選手権を制覇。順風満帆の宮原さんを、左股関節疲労骨折が襲った。17年の四大陸選手権、世界選手権を欠場。昨季のシーズン後半を棒に振った。ジャンプをより跳びやすくしようと、体重を37キロまで落としたのが裏目に出た。

2回生を目前にした昨年3月、リハビリに専念するため関西大学文学部休学を決断。五輪出場へ向け、退路を断った。骨をつくる栄養をつけようと、栄養士をつけて食事面から生活を改善。本格復帰後、練習でジャンプを失敗すると「今も無理」と話すほど大嫌いな牛乳を、1リットル一気飲みする罰ゲームを自ら科した。

氷上から離れたことは、宮原さんの心境に変化をもたらした。千里山キャンパスに練習着のジャージのまま行こうとして、周囲に止められるほどスケート漬けの生活が変わった。約1カ月間におよぶ東京の国立スポーツ科学センターでのリハビリ生活では、スピードスケート女子金メダリストの高木菜那さんらアスリートとも交流。音楽やファッションなど、フィギュア以外のことにも目を向ける余裕もできた。「知子、明るくなったね」。友人から言われるほど笑顔が増えた。

笑顔の裏で、リハビリ中は1日1000回以上の腹筋を欠かさなかった。左足捻挫、そして右股関節骨挫傷とケガが続き、濱田美栄コーチ(58)からは“5年後(北京五輪)でいい”との言葉も出た。「どんくさくても、オリンピックに出られるんだと感心した」。師が話すほどの、愚直なまでの努力。それを実践してきたことに、宮原知子というアスリートの真価がある。

春からは復学し、文学部英米文学英語学を専修する。835点のTOEICの点数を少しでも伸ばしたい。そして、22年の北京五輪へ視線を向ける。「自分の演技で、感動を伝られるような演技がしたい」。千里山キャンパスでの壮行会で、関大生に向けて語った宮原さん。メダルにはあと一歩届かなかったが、その思いは十分すぎるほど伝わった。

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