競技生活からの引退を表明した清水希容さん=19日、尼崎市記念公園ベイコム総合体育館(撮影・小野桃子)

関西大学出身で、2021年の東京五輪空手女子形(かた)銀メダルの清水希容さん(30=16年文卒、ミキハウス)が19日、兵庫県尼崎市の尼崎市記念公園ベイコム総合体育館で会見を開き、競技引退を正式に表明した。

【写真】関大生時代の清水希容さん 笑顔がかわいすぎる!

この日、同体育館で行われた全日本実業団空手道連盟第4回西日本地区大会で特別に演武を披露。10歳から始めた競技生活に区切りをつけた清水さんは「競技は一戦を引いてこれで終わりなんですけど、これからは空手家としてよりまた鍛錬して精進して、頑張っていきたいなと思っております」と笑顔で語った。

演武を披露した清水希容さん(撮影・小野桃子)

引退を決めた理由について、清水さんは両ひざのケガがきっかけになったと振り返った。

「五輪の前からずっと両ひざのけがに悩んでいた。それでもやり続けていたので、五輪の選考レースの時から調子が悪かった。昨年の頭ごろからは日常生活するのも歩くのも苦しいぐらいひざの状況が本当に悪化してしまって、普通に演武をすることが難しい状況になってしまっていた」と、抱えていた苦悩を打ち明けた。

技術が落ちているという感覚はないものの、自身が思う感覚で演武ができないことが競技者としての〝終礼〟を決断させた。

「ひざが痛い影響で思う角度に曲げられないとか、体重が乗せられないとか。うまく立てないとかという風になってきた。動き続ければ悪化していく。上の試合を目指すのであれば、試合に出続けなければいけない。もう一度やるのか、となった時に自分のベストが出せない状況で試合に臨むのは嫌な気持ちがあった」と説明した。

関大生時代の2013年、20歳で全日本空手道選手権女子形で史上最年少優勝し、そこから7連覇。世界空手道選手権も2連覇した。輝かしい戦績をいくつも残してきた清水さんにとって、一番印象的な試合として東京五輪を挙げた。「五輪は、いろんな世界大会を経験してきた中でも、やっぱり比べものにならないくらいすごい舞台だった」と振り返る。

競技生活からの引退を会見で表明した清水希容さん。笑顔を絶やさなかった(撮影・小野桃子)

「空手は元々、五輪の種目になかった。東京五輪を経験させていただいて、私にとっては一番競技人生のやってきたものが一番変わったものだった。空手界にとっても、嵐のような期間だった。特別なもので、みんなが出てみたいと全力をかけて臨んだ大会だった。東京五輪のおかげで空手は形も、組手もあって…ということも知っていただけた」と、「銀」以上のかけがえのない舞台だったとかみしめた。

今後は指導者を目指し、空手の魅力を伝えていく活動にも注力する。「死ぬまでたぶん空手と付き合って、けいこを毎日すると思うので、空手が常に横にありながらの人生になる。生涯かけて、自分が納得いく演武がいつできるかな、ということを楽しみにしたい。自分のこれまでの経験を言葉にして後世に伝え、指導していけるように頑張っていきたい」と目を見開いた。

関大卒業後も、たびたび千里山キャンパスに足を運び、古巣の空手道部で練習することもあった。

「関西大学に呼ばれたら行きましょうかね(笑)。今後のことは細かくはまだ分からないですけど、関西大学の選手たちもすごく選手が増えて、いい選手がいる。顔を出しながら、話にも行けたらいいな。私自身と指導のスキルアップにもなる。学生たちともつながっていきたい」と〝関大愛〟もにじませた。

会見の最後に「みなさんにひとつ、お願いがあります」として、集まった約30人の報道陣との集合写真をリクエスト。「感謝 自分を信じて!!」と記されたお菓子を配り、一人一人にまで礼をした。〝空手界の綾瀬はるか〟の引き際。凜とした姿、ひとつひとつの所作が、ただただ美しかった。【小野桃子】

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