関大生時代を語った。お笑いコンビ・ジャルジャルの後藤淳平さん(34=06年経済学部卒)と福徳秀介さん(35=06年文学部卒)は関西大学を卒業したばかりの2007年、ブームスポーツに登場。「いまだに関大でネタ合わせしてます」と笑撃告白した(今では人が殺到しすぎて絶対無理…)。各分野で活躍している関大卒有名人たちのメッセージを再録する「関大生スーパースター列伝」。第1回はジャルジャルです!【2007年12月・ブースポ第9号から再録】
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今でも関大にネタ合わせに行っている。「何もない時は行って空き教室で。あの自由な校風が…」と笑う福徳さんに、後藤さんも「社会学部のきれいな教室とかでやってます。3501とか」と続ける。お笑いコンビ・ジャルジャル。その自由奔放な芸風は、関大生まれ関大育ちだ。
「路上でぶつかり険悪なムードだった2人がいきなり大熱唱」「店長とバイトが最後は店を懸けてするしりとり」…他のコンビでは絶対に見られないハチャメチャ・コント。
後藤「他の大学行ってたら、もっとカッチリ漫才みたいなヤツとかしていたかもしれない」
コンビ結成は2002年。関大一高時代、ラグビー部の夏合宿で骨折をした福徳さんに後藤さんが付き添ったことがきっかけだ。高2の終わり頃から〝漫才ゴッコ〟を始め…。
後藤「人前でやるの恥ずかしいから一番気弱そうな後輩に見せてるうちに、雰囲気的に」
関大進学と同時に、NSC(吉本総合芸能学院)に入学した。お笑いと大学の比率は8対2。とにかくNSCを優先したので、1回生のスタートダッシュで友達を作ることが出来ず。3回生のときは舞台と重なり3週連続ゼミを休んだところ辞めさせられ(後藤)、4回生の後期では23単位残し先生に頭を下げに行った(これも後藤)。それだけお笑いにマジメだった。
千里山キャンパス内で関大生を捕まえてネタを見てもらっていた。4〜5人の集団がいることろに行って「漫才見てもらっていいですか?」。真冬に外でブリーフ一丁のネタをやったりする2人を気に止める人はおらず、誰も集まらなかった。
福徳「女の子とかに見せたらゲラゲラ笑ってウケてるわ〜と思うんですけど、今考えたら、ふつうの男2人が漫才してるってことに対して馬鹿ウケしてたんやと思う」
福徳・後藤「自信あったんですかねぇ」

3回生になって周りが就職活動を始めても、焦りは感じなかった。
後藤「就職せんでええわ、ラッキーくらいの感じでした」
福徳「スーツ着てるんを見て、かわいそうやなって」
特別忙しい訳でもなかったが、迷いは全然なかった。
福徳「天職探したかったら就活したらダメですよ」
後藤「楽しかったらええんちゃうん、と思うんですよね。ただ、関大が僕らみたいなのばっかりやったら就職率えらい悪なるけど」
きつい仕事もあるし、周りの若手も皆面白い。でも辞めたいと思ったことはない。根拠はないけれど、まだ少し親のスネかじっているけど、お笑いしかないなと思う。こだわりや意味なんてない。メッセージもない。ただ思いついたこと=面白いことをやっていく。
福徳「昔スベっていたネタが今ウケたりする。そんなんやったら、そん時笑って欲しかったな〜って」
後藤「関大在学中にワーキャー言われるのが目標だったんですよ。あっちゅう間に4年過ぎてもうた」
当時ネタづくりに使っていた文学部の某教室に「お笑いボックス」と落書きをした。幻のサインと、ネタ合わせに通う彼らに人だかりができる時が来るのも、そう遠くはない?
◇コンビ名の由来
福徳さんが文学部で受けていた語学の授業に、経済学部の後藤さんが潜入。授業中にコンビ名が決まった。「ジャルジャルって名前は、由来なんかなくて、響きだけ。意味わかんないです」(後藤)
◇サークル
サークルは入らなかったが、BOXだけは欲しかった。点字サークルに入り、BOXを乗っ取ろうとしたが…。「ドア開けたら部屋の中の空気に圧倒されて、乗っ取りは失敗でした」(後藤)
◇友達
関大での4年間、後藤さんには友達が1人もいなかった。「休み時間とか苦しかったですね。福徳が授業で1時間半空くとかすると、何したらええかわからんから、ベンチに座って頭抱えてました」。福徳さんは「かろうじて1人いました」。
◇お笑いを目指す関大生に
「ちょっと来い。話聞いたる」(福徳)。「メシでも行こか。酒飲まれへんけど」(後藤)。
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