関西大学千里山キャンパスでの河野早紀さん(撮影・白井康平)

人気アイドルグループ・NMB48を15年4月に卒業した河野早紀さん(こうの・さき=23、社5)が、大手ラジオ局に内定。卒業公演で誓った「将来はラジオ番組を制作したいと思うようになりました。その目標に向かって大学で勉強を頑張ろうと思います」という公約を果たした。3年越しの就職活動で、ようやくつかんだ夢。関西大学社会学部卒業にあたってラジオ業界を目指す関大生にエールを送ると、胸にしまったアイドル時代を振り返った。

NMB時代はぐしゃぐしゃの毎日だった。昼からの授業には、公演で出られない。 ブログの締切は24時。帰宅して必死に書いても、終わるのは毎日ギリギリだった。

寝るまでのひとときが、唯一の自由時間。TBSラジオの深夜番組「水曜JUNK 山里亮太の不毛な議論」(水曜25~27時、関西地方ではラジオ関西で放送)を聴いている時間が大好きだった。アイドルの仕事で、一番好きなのもラジオ。20歳の頃、 作る側にまわりたいと思い始めた。

【写真】2017年7月、ラストステージに臨む河野早紀さん

山里亮太さん(40=01年文卒)は聴取者からの投稿メールに応える形で、NMBを卒業しラジオ業界を志す河野さんに触れ、同番組のアシスタントディレクター(AD) に勧誘した。河野さんも呼応し、ADを志願。15年8月の10日間、TBSラジオでインターンとして働いた。

東京で聴取率ナンバーワンを誇る同局のすごさを目の当たりにした。生放送が始まる5時間前には局入り。多い時に2万通を超えるメールには、番組スタッフがすべて目を通すことを知った。「リスナーの声は、本当に届いているんだ。やはりラジオが好きだ」。インターン最終日。午前3時の生放送終了後にもかかわらず、山里さんら番組のスタッフが都内の中華料理店で河野さんを送り出してくれたという。

ラジオ局1本に絞った4回生春の就職活動は、見事に全滅した。地元・広島に帰ろうとも考えたが、あきらめなかった。山里さんやファンをはじめとした応援してくれた人に、いい報告をしたい。覚悟を決めて留年し、就活を再スタートした。

地元の銀行や芸能プロダクションにも、就活の手を伸ばした。銀行には「広島が好きなので」。芸能プロには「表舞台に立った経験を生かして、裏で演者を支えられる」とマネージャー職を志望したが、本心ではなかった。

5回生の春も、全国のラジオ局を受験した。エントリーシートには、NMB48を頑張ったことを存分にアピール。面接では「ラジオがこんなに大好きで、面白いものなのに注目されていないし、周りも聴いていない。聴いてほしいし、面白い番組 がつくりたい」と訴えた。5回生の夏、最終面接を受けたラジオ局から内定通知。応援してくれた人達の顔が浮かんだという。どうしても行きたかった。

ラジオ局の新卒採用人数はゼロか、いても毎年1、2人ほど。あまりにも狭すぎる門だ。ラジオ業界を志す関大生には、最後までラジオの道から逃げないでほしいと河野さんは言う。「コミュニティーFM(市町村単位の小規模ラジオ局)とかにも、目を向けてほしい。1回入って転職とかも。ラジオを作っていく仲間が増えたらなって思います」とアドバイスを送る。

NMB卒業時には、やや足早なラストラン。ファン全員に、感謝の思いを伝えることができなかった。「アイドルをやっていたのは3年半とかだけど、一生心のどこかに、ファンの人達の気持ちとか顔とか声とかメッセージとかお手紙とかいろいろ…。そういうのがあって私は頑張れるんです」。かけがえのない思い出を、心の中の宝石箱にしまった。

昨年7月、夢をかなえたことを知った山里さんら番組スタッフから、大きな大きな花輪が届いた。慣れない大阪での独り暮らしを始めた頃から聴き始め、心のよりどころにしていた番組のスタッフはどこまでも温かかった。いつか、こんな番組を作ってみたいー河野さんのまっすぐなラジオ愛が、さらに深まった。【山本朝子】

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