関西大学千里山キャンパスで、化粧まわしの贈呈式に臨んだ安青錦関=2024年11月5日(撮影・小野桃子)

日本相撲協会が26日、福岡市内で2026年の初場所(1月11日初日、両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開き、九州場所を新関脇で優勝したウクライナ出身の安青錦(あおにしき)関(21=本名・ダニーロ・ヤブグシシン、安治川部屋)の大関昇進を満場一致で決めた。

安青錦関は、安治川部屋の宿舎がある福岡県久留米市での昇進伝達式で「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、またさらに上を目指して精進いたします」と、師匠の安治川親方(47=元関脇安美錦)とともに考えたというシンプルな口上を述べた。

関大から大関へ!安青錦関は出身ではないものの、関西大学とゆかりが深い。新十両だった24年11月5日、千里山キャンパスで行われた化粧まわしの贈呈式に出席。ブームスポーツなど報道各社の取材に応じ、関西大学での思い出などを語っている。

山中新大さん(左)とともに記者団の取材に応じる安青錦関=2024年11月5日

19年、大阪府堺市での相撲世界ジュニア選手権にウクライナ代表として来日。当時、関西大学相撲部の主将で現関大職員の山中新大(あらた)さん(26)と知り合い、帰国後もSNSを通じて親交を深めていった。22年2月のロシアのウクライナ侵攻で、日本への避難を希望した安青錦関は「関取になりたい」との夢を打ち明けた。

22年4月、戦禍を逃れ来日。山中さんは、神戸市の自宅に安青錦関を受け入れ共同生活がスタート。同時に関大と掛け合い、千里山キャンパスにある相撲部の土俵を稽古場とすることを許可してもらった。

関西大学相撲部が約200万円をかけ、大学の校章とスクールカラー・紫紺をしつらえた化粧まわしを贈られた安青錦関は、久々に関西大学千里山キャンパスに戻って来た感想を問われ「半年ぶり。変わらずうれしい気持ちもありますし、懐かしい気持ちもある。1年に1回は必ず来る。日本のふるさとみたいな感じ。自分が日本に来た時は、右も左もわからなくて、関西大学にだいぶお世話になって…本当に関西大学の人たちにも感謝の気持ちでいっぱいです」と恩を語った。

山中さんによると、安青錦関は当時関大前にあったラーメン店の「豚人」や、関大生に人気がある千里山キャンパス正門前のテイクアウト唐揚げ丼店「やみつき唐揚げ丼」をよく利用していたという。

安青錦関は、生協食堂がある同キャンパス内の凜風館を指差し「食堂でよくメシを食べていた。いっぱい。唐揚げ丼とか食べた。(相撲部の道場の)隣のジムに行って、よく準備していた」との凱風館内のジムで体を鍛えたことを明かした。

記者団から「唐揚げ丼とか何杯食べるんですか?」と問われた安青錦関は「一杯しか食べなかった。元々、飯弱いんです。相撲界入ってから少し食べられるようになったけど、今でもたぶん弱いほうだと思います。白い飯は自分は全然大丈夫だけど、飯は弱い方」と大食ではないとした。

千里山キャンパス内を歩く安青錦関=2024年11月5日

関西大学相撲部の土俵に、初めて足を踏み入れた時のことを「ウクライナは(相撲は)マットで稽古する。普通の土の土俵で、すぐに足の皮めくれて…」と振り返る。山中さんは「2022年の4月12日に、彼は一人でやってきた。祖国のウクライナが大変な状況の中、家族と離れてさびしい思いをした18歳の少年がひとり来たあの姿っていうのは…一生忘れることはない。たくさんの方々に彼は支えられてきた。どれだけ強くなってもおごらず、初心を忘れない力士になってもらいたい」としみじみ語った。

新十両だった1年前。千里山キャンパスのメインストリートをのっしのっし歩いていた安青錦関に、声をかける関大生はあまりいなかった。次に来学した時は歓声とともに、きっと多くの人が群がることだろう。

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