元プロレスラーで、参院議員を務めたアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日、79歳で亡くなった。猪木さんは1985年(昭和60)、1989年(平成元)の2度、関西大学統一学園祭に来学。89年に行った講演会では、関大生の提案でおなじみのフレーズ「1、2、3、ダァ~!」が誕生。千里山キャンパスに闘魂伝説を残していた。
【写真】「関大で一番おもろいやつ誰やねん選手権」に出た関大生時代のゆりやん
1989年11月4日、当時の法文学舎(現在の第1学舎)Dルームから、多くの人々を鼓舞した名文句が生まれた。「関大に卍(まんじ)固め」と銘打たれた講演会の最後、司会を務めていた関大生が「私が1、2、3と言った後に、みんなでダァ~!をやりましょう」と提案。猪木さんも応じ、教室に詰めかけた関大生1000人とともにコブシを突き上げた。これが「1、2、3、ダァ~!」が生まれた瞬間だった。
猪木さんはそれまでも、プロレスの試合後に「ダァ~!」と雄叫びを上げていたが「1、2、3」の〝フリ〟はなかった。89年7月の参院選で、スポーツ平和党から比例代表で出馬し初当選。当時の猪木さんは参院議員としての公務のため、試合出場を限定していた。関大での学園祭出演後、初めて試合に出場したのは新日本プロレスの90年2・10東京ドーム大会。坂口征二とのタッグで蝶野正洋、橋本真也組と対戦している。
新日本プロレスのリングアナウンサーを務めていた田中ケロさん(63)によると、猪木さんが初めて「1、2、3、ダァ~」をリング上で披露したのも、この東京ドーム大会のリングだ。「6万人とダァ~をやりましょう」と提案したのは田中さんだったが、猪木さんは「1、2、3でダァ~!です」と、6万人の観客に〝関大発祥〟の雄叫びを呼びかけ。その後、バラエティー番組などでもおなじみのフレーズとして定着した。
89年の統一学園祭登場は、参院選での選挙活動を応援した関大生が「国会議員になられたら学園祭に来てください!」と申し入れ、猪木さんも「よっしゃ!」と握手で呼応し実現した。学園祭直前には福島県会津若松市での演説中に暴漢に刃物で刺され負傷。来学が危ぶまれたが、燃える闘魂は約束を守った。ちなみに、猪木さんは85年の統一学園祭の直前も、ブルーザー・ブロディ戦で骨折している。
猪木さんの父・佐次郎さんは、関西大学法学部出身という縁もあった。1000人の関大生に「まず元気、二番目は根気、最後に勇気」とメッセージを送り、統一学園祭を盛り上げた燃える闘魂。晩年のあいさつ「元気ですかーっ!元気があれば何でもできる」の誕生も予感させていた。
【関連記事】
関西大学3年ぶりの学園祭ライブはファンモン イケメン俳優一ノ瀬颯さんがトークショー