関西大学の落語研究会・落語大学が19日、千里山キャンパスの100周年記念会館で「半世喜の会〜へてから〜」と題した記念寄席を開いた。1963年(昭和38)に創設された落語大学が今年3月、50期の卒業生を輩出したことを祝うもので、2代目学長(=会長)で、1期生の浪漫亭ちっくこと桂文枝客員教授(73)が学生服、学帽姿で登場。500人の観客を大いに沸かせた。

千里山キャンパスの特別講堂(現・KUシンフォニーホール)で桂米朝さんの噺を聴き、落語家を志した文枝さん。関西大学の学歌をお囃子に、関大生時代の正装で現れた。「私が学長の時代に部費を使い込んだという話が出ましたけど…事実です。よく部費を使っていましたが、ちっとも反省していません」と、開会挨拶。まくらだけで会場を笑いの渦に巻き込んだ。

3度のがん手術を経験したアマ落語家が、トリを務めるはずだった。文枝さんが総括を務める大阪府池田市主催の社会人落語日本一決定戦で昨年10月、工学部生だった12期生の関大亭笑鬼(しょうき)さんが第7代名人に。「名人を祝う会と50年を兼ねて開くはずだった。本人もその気だった」と20期生の浪漫亭来舞さん(らいぶ、54=83年経済卒)は話す。

文枝さんの創作落語「ぼやき酒屋」で日本一になった笑鬼さん。「笑鬼くんが残念ながら亡くなってしまった。優勝した時はうれしかった。まるで神が降りてきたような見事な出来だった。もちろん、私の作品だということもありますが…」文枝さんは観客を笑わせながら、7月にこの世を去った後輩を偲んだ。【写真・学生服姿で挨拶する桂文枝さん】

生前の高座が映像で流れたころ、会場は笑いに包まれ、外は涙雨になった。「彼のことも忘れず、みんなで助け合って仲良くやっていきたい。同級生や後輩が力になって応援してくれたから、私もここまで来れた。お返しをしたいし、関西大学を盛り上げていきたい」。文枝さんが開いた落語大学の歴史は50年を超え、千里山キャンパスで連綿と受け継がれている。

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