明治神宮野球大会大学の部2回戦が13日、東京・神宮球場で行われ、2年ぶり5度目出場の関大は明大に4-1で敗れた。1991年(平成3)6月14日の全日本大学野球選手権準決勝以来、9284日ぶりの聖地1勝はならなかったが、神宮のグラウンドに爪痕を残した。【写真・伝統の神宮球場の演台に立った応援団長の竹内美沙保さん】

応援は負けなかった。一塁側スタンドを埋めた約2000人の紫紺の応援団が、拍手でナインを迎えた。中日にドラフト1位指名された明大・柳裕也投手の前に、打線が沈黙。奇跡を呼んだ関西学生野球秋季リーグ戦最終節、関西地区代表決定戦からの快進撃は、5連勝で止まった。

3回2死三塁。先発マウンドに立った吉川峻平投手(21=文4)の気迫の1球が、右翼席ではねた。明大の3番・佐野恵太内野手が放った技ありの2ラン。悔しさからか、右手でグラブを叩いた。7回裏2死三塁から、代打・松島恒陽内野手(19=人間健康1)の左越え二塁打で意地の1点をもぎ取った。

レジェンドが見守った。1972年(昭和47)に全日本大学野球選手権、明治神宮大会優勝など大学4冠の立役者となったアドバイザリースタッフの山口高志さん(66=73年社卒・元阪神投手コーチ)が、スタンドから熱い視線を送っていた。「プロ野球の時より緊張した。よく頑張った。ナイスゲームだった」と言葉を送る。敗れこそしたが、早瀬万豊監督(58=82年経卒)は「松島は思い切りのいい子。期待通り。選手たちには声を出したり、学生らしさを期待していた」と選手をほめた。

大阪から駆けつけた芝井敬司学長(60)は「感動的だった。神宮への出場を決めた最後の方は劇的だった」と健闘を称えた。関大野球部のスローガンは「渋男〜覇業への挑戦」。ソフトバンクホークスの熱男(あつお)を、関大流にアレンジした。今年1月1日に配られた野球部の執行方針は「全国制覇〜念・燃・粘をかたちに」。全国制覇こそならなかったが、渋男たちの挑戦は冬空の下、熱かった。

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