リオデジャネイロ五輪セーリング(ヨット)女子49erFX(フォーティーナイナーエフエックス)級に出場した高野芹奈さん(たかの・せな=18、人間健康1)は、20チーム中最下位で、メダルレースに進めなかった。一時は競技をやめる決意をするほど落ち込んだという高野さんは、悔しさをバネに2020年東京五輪出場を目指す。

リオでの悔しさが、東京へ向かう原動力となる。「もうヨットをやめようかと思った。そこまで落ち込みました」。最下位で終わった五輪舞台。上位10チームで争われるメダルレースは、観客席で迎えた。

開催国ブラジルのペアが優勝。金メダルに喜ぶ選手と観客の熱狂ぶりが、失意の高野さんを奮い立たせた。メダルは自分が獲りに行くしかない—。「その時の一体感が忘れられないんです。神様ってずるいなって」。次の目標に向かって、前を向いた瞬間だった。

日焼けした肌。男子学生にもひけをとらないたくましい体。ひと夏の経験が、高野さんを強くした。「選手ひとりひとりの顔つきから、4年間に対する思いがうかがえた。事前準備や休憩中にも感じた」と、ライバルから世界最高峰のレースに臨む覚悟を学んだ。

本番では、練習時とは違う風が吹いた。セーリングの日本選手団は、工具などの盗難被害にも遭った。「行く前は、いつも通りにすればいいと考えていた。でも普通のレースではない。こんな経験が18歳でできたことが本当に良かった」。五輪には魔物がいる。使い古された言葉を、胸に刻み込んだ。

選手村で撮った1枚の写真が宝物になった。テニスの男子シングルスで銅メダルを獲った錦織圭選手とのツーショットだ。【写真・錦織圭選手とのツーショット写真を見せる高野芹奈さん=関西大学堺キャンパス】

「錦織さんはピカンとしていました。誰も声をかけなかったんですが、自分が写真を撮ってもらったあと長蛇の列ができていました」と笑う。日本テニス界に、96年ぶりのメダルをもたらした世界的プレイヤーからパワーをもらった。

和歌山を拠点に、宮川恵子さん(30)とのペアで臨んだリオ五輪。4年後を見据え、東京で新チームを作ることを明かした。「ますますやる気になっている。東京五輪でメダルを獲得したい」と力強く語った。中3でセーリングを始め、わずか3年4カ月でオリンピアンとなった高野さん。関大での4年間で、さらに長足の進歩を遂げる。

【関連記事】リオ五輪出場高野芹奈さんに高橋大輔さんから金言-2016年7月1日

返事を書く